今月の言葉

3月の言葉

春 彼 岸

今年の”春のお彼岸”は、昼夜の長さが同じになる春分の日(3月20日)を挟んだ7日間、3月17日から3月23日までの期間と為ります。

このお彼岸の語源は、サンスクリット語の「paramita(パーラミタ)」で、日本においては音写語で「波羅蜜多(はらみた)」と表記されていました。この「波羅蜜多」の漢訳が「到彼岸(とうひがん)=彼岸に到る」になることから、「彼岸」は「悟りの世界(お浄土の世界)へと辿り着く」という意味になります。

日本の仏教には、「此岸(しがん)」と「彼岸(ひがん)」という概念があります。此岸(しがん)とは、こちら岸。欲や煩悩にまみれた世界(この世)を指し、彼岸(ひがん)とは、かなた岸。仏の住むお浄土の世界(悟りの世界、こころ安らかな世界)を指します。

太陽が真東から出て真西に沈むお彼岸の時期に、ご先祖様を偲ぶことで、こころ安らかなお気持ちに気づけば、そこが到彼岸ではないでしょうか。

2月の言葉

今日一日を大切に

一年は365日、例え百年生きても3万6千5百日でしか有りません。8世紀、「酒仙」と呼ばれる中国の詩人・李白は、「襄陽の歌」の中に「百年生きたとてせいぜい三萬六千日、されば一日に3百杯を傾けるべし」と謳い、また、日本の安土桃山時代から江戸時代に掛け活躍した臨済宗の僧・沢庵宗彭は辞世の間際、弟子から乞われて筆を執り、”夢”と記したその傍らに「百年三万六千日、弥勒観音幾是非、是亦夢非亦夢、弥勒夢観音亦夢、仏云応作如是観」と記したと伝わります。其の意味は、「この世の全ては是も非もない。人生の全ては夢なのだからとらわれてはいけない」とういう事らしいです。

人の夢と書いて『儚(はかない)』と読みますが、両者とも人生は儚い夢だから、好きなように生きる事が良いと言っています。

”今日一日を大切に”するという事は、何か特別な努力をする事では有りません。いつ何が起こるか分からないから、当たり前に過ごせる今日一日を大切に生きましょうという事です。李白にとっての其れは、お酒を嗜む事だったようです。

12月の言葉

除夜の鐘

一年の最後の日を”除夜”と申します。除夜には、寺で梵鐘を百八回撞(つ)き、ゆく年の汚れ(煩悩)を落とします。これを”除夜の鐘”と呼んでおります。光明寺が創建された室町時代頃から禅宗の寺で行われて来た行事と言われています。

光明寺では、”除夜”の日、12月31日には、この句同様に山門を開き、当山の檀信徒の方に限らず、除夜の鐘を撞(つ)いて頂けます。また本堂に於きましては、新年のご祈祷を執り行い、祈祷後には破魔矢をお分けしております。

※ 今月の言葉の背景に使用しております、”龍”と”牡丹”の絵は、光明寺本堂の東西のふすまに描かれています。来年は”辰年”でもあり、何かの機会には、是非ご覧いただければと思います。

11月の言葉

はかなさの美学

松尾芭蕉の晩年の弟子、俳人中川乙由が詠んだ句です。

詩句の冒頭のわびしい展望は、仏教の教えに直接由来していると言います。彼は、仏教が日本の精神的な面だけでなく、文化的な面においても、浸透していると考えていました。この句もまた、仏教的な死生観を詠んだのだと思います。

日本の文化的精神を表現する「わび・さび」という言葉などは、まさしく”侘しく朽ち行く儚い姿”を表現した言葉であり、その精神が様々な日本文化に活かされている事は周知の事です。

乙由は、その儚さの中でこそ、輝ける生命の営みを見出したのだと思います。

この句は、人生が夢のごとく儚い時であると示して結ばれますが、それは必ずしも絶望では無く、句の後に”だからこそ”と続く”開き直り”とも言える決意なのかも知れません。

10月の言葉

中秋の名月

松尾芭蕉が詠んだ一句です。”名月”とは、陰暦8月15日(十五夜)の月または、陰暦9月13日(十三夜)の月を指しています。月齢を暦とした陰暦を現代の私達が用いる太陽暦(グレゴリオ暦)に改めると、年によって月日が変わります。2023年の十五夜は、9月29日になります。一般には”名月”ではなく”中秋の名月”と言う言葉の方がなじみが在るかと思います。

俳句の意味など解説するのは、俳句の心に反する事かも知れませんが、あえて、この句の詠まれた背景を記せば、この句は、芭蕉43歳の年、芭蕉庵で「月見の会」を催し、隅田川に舟を浮かべて詠んだといわれます。”夜もすがら”とは、”夜通し”、”一晩中”と言う意味です。

明かりが乏しく闇の深い時代、芭蕉は、満月の明かりに照らし出された淡いモノクロームな陰陽の風景に、”侘び”と”寂び”の境地を見出し、時を忘れ、あたかも月明かりの世界に溶け込むように、夜通し、無心で、月見に興じたのでしょう。

ストレスの多い現代でも、時に、こうして無心で自然の在り方を感じる事も良いかも知れません。

9月の言葉

美しい心を繋ぐ

親が美しい姿勢や価値観を持ち、それを実践することで、子供もまた同様の美しい姿勢や価値観を身につけることを詠んだ言葉です。親の行いが子供にとっての大切な教育の一部であるという事です。

良く「親を見て子は育つ」と言いますが、親が人に対して敬意を払う姿勢を持てば、子供も他人に対して同様の敬意を持つようになるでしょう。また“健康習慣”なども同様で、親が健康的な生活習慣を実践し、バランスの取れた食事や運動を重視することで、子供もまた健康を大切にするようになるでしょう。そしてご先祖様への思いも同じです。

今年は、9月の20日から26日の期間が、ご先祖様が身近に来られると考えられている『お彼岸』にあたります。ご先祖様を想い拝む“優しい気持ち”は、自然と子供や家族に伝わります。詠み人には、そうした“優しい気持ち”を伝え繋ぎ共有する親子の姿が美しく見えたのだと思います。

8月の言葉

いのちのバトン

この詩は歌人である平兼盛(たいらのかねもり)が詠んだ有名な和歌の一節で、「限りなく先祖に受け継がれ、限りなく子孫に伝わっていく私の命(生涯)だなあ」という感慨を表現しています。人間の生命が先祖から受け継がれ、子孫に受け継がれる因縁を讃えたものです。

足利出身の相田みつをさんの詩に、「自分の番 いのちのバトン」という詩があります。

父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと
十代前で千二十四人 二十代前では・・・?
なんと百万人を越すんです
過去無量のいのちのバトンを受けついで
いまここに自分の番を生きている
それがあなたのいのちです それがわたしのいのちです

お盆月に家族や先祖に対する敬意や感謝、そして子孫に対する願いを改めて感じて参りましょう。

7月の言葉

心安らかな悟り

私たちは日頃、様々な悩み苦しみを抱えながら生きております。すると、時には「怒り」が現われることも出てきます。「怒り」の心は真実を見極められなくなり(無智)、辛さから涙を流すこともあるでしょう。

しかし、涙をながし泣くことは、サンズイに“戻”“立”と書く通り、涙に押し流されようとする心を引き“戻し”その中から“立ち”上がるために泣くのが真実の涙であり修行とも言えるでしょう。

その先に自ずと笑いが現われ、心安らかな(悟り)心境が訪れるのではないでしょうか。

6月の言葉

飛び込む勇気

蛙が水に飛び込む姿を静かに見た事があるでしょうか。じっと遠くを見つめた蛙が、不意に何かを決意したかのように飛びあがり、水面に波紋をたてて深くに潜り、水中で必死になって水を掻き、やがて何事も無かったように涼しい顔で水面に浮かびます。蛙が浮くのは当たり前かも知れません。でも、その姿は何か決意し、勇気を出し、其の何かに飛び込んだ”人の姿”そのものでは無いでしょうか。

どんな事でも”始めなければ”結果に至る事はありません。だから先ずは飛び込んでみましょう。でも、本当に大切なのは其の後の話です。努力を怠ってなお良い結果が得られるほど世の中は甘いものでは有りません。水面に顔を出した蛙は、池に飛び込み水中から泳ぎ出した蛙です。

蛙は肺呼吸ですから、生きるため必死に泳いで浮かび上がるのでしょう。人もまた、勇気を持って飛び込み、精一杯、”力”一杯、泳ぎ切ってこそ、良い結果に辿りつけるのでは無いでしょうか。

4月の言葉

花を咲かせる土

星稜高校野球部監督として春夏合わせ25回、教え子たちを甲子園出場に導いた山下智茂さんの言葉です。国民栄誉賞を受賞した松井秀喜氏の恩師でもあり、野球を通じて選手たちに”人間としての正しい心の持ち方”を教えた教育者としても名のある方です。

野球部の監督で在り、教育者でも在る山下氏は、高校野球を学校教育の一環と位置づけ、選手に学業や学校行事を疎かにすることを許さず、学校の決まりなども厳しく遵守させました。それが『主役として活躍するだけではなく、誰かを支える人間になってほしい』と考えた山下氏の”指導”の基本方針でした。『花よりも、花を咲かせる土になれ』と云う言葉は、そうした監督の価値観そのものと言えるでしょう。

あの松井秀喜氏を見ておりますと”大輪の花”に見えますが、花を咲かせることができたのは、きっとそれまでに多くの花々を支えることができる“土”になることができたからでしょう。また、花を咲かせたことで再び誰かを支える土にもなれるのです。どんな美しい花もひとりでは咲く事ができません。土があって花があり、花があって土がある。人もまた、土などの縁の下の力持ちになることで、何れ大輪の花が開き、そしてその花は再び土となって誰かを支える“縁”を育みます。

3月の言葉

お彼岸と中道

間もなくお彼岸が訪れます。今年の春のお彼岸は、3月21日の『春分の日』である『彼岸の中日』を中心として前後3日の一週間で、ご存知の通りこの日は昼夜の時間が同じです。つまり、太陽が真東から上り真西に沈む日となり、今後暫くの間は「暑さ寒さも彼岸まで」といわれる通り、過ごしやすい日が訪れます。これは、太陽がどちらか一方に極端に偏らず、正しく“良いかげん”で軌道している現れです。

一方で、最も昼間の短い日である『冬至』、逆に昼間が最も長い日である『夏至』は、いずれも季節のひとつではあるものの、過ごしやすいと感じる人は少ないのでは無いでしょうか。

古にお釈迦さまは「極端に偏(かたよ)らずに生きる姿勢が大切だ」との教えを説かれました。此れを『中道(ちゅうどう)』と呼びます。人は思い詰めると時に「欲望」のままに突き進み、其れを省みれば、今度は極端な「禁欲」へと邁進する事があります。其れはいずれも誤りです。何事も「極端」はいけないと諭した言葉が『中道』であり、過ごしやすい『春分』の時期こそ、まさに季節の『中道』と呼べるでしょう。

お釈迦さまの教えは、それぞれ異なる考えや志がある中で、決して極端な無理をせず、自分に合った”生き方”が大切だと諭しております。

3月彼岸月にお釈迦様の教えである『中道』を学び、自分に合った“生き方”である“幸せの湯加減”を探してみては如何でしょうか。

2月の言葉

涅槃会

『涅槃会』とは、お釈迦様が入滅され、肉体を失くした悟りの境地『涅槃(Nirvana)』に入られた日とされる、旧暦2月15日に行われる御法要のことです。

『涅槃』と云う言葉は、サンスクリット語のニルバーナ(Nirvana)という言葉を音訳した言葉で、「煩悩の火が消えた状態」と云う意味を持ちます。お釈迦様は、涅槃へと至る際、沙羅双樹の木の下で「頭北面西(ずほくめんせい)」に横たわっていました。今でも亡くなられた方を北枕に安置するのは、この故事が由来です。

お釈迦様が涅槃に至る様子を描いた絵を『涅槃図』と呼び、其の中央に横たわるお釈迦様の姿を模った彫像を『寝釈迦像』と呼んでいます。足利の行道山浄因寺から山を登った先にも、ひっそりと『寝釈迦像』が祀られ、訪れる多くのハイカーの安全をひっそりと見守っています。

1月の言葉

賀正(心に、言葉に、行いに)

 ”賀正”の”賀”とは、祝うと云う意味、そして”正”とは、”はじまり”の時点を意味し、例えば”正月”は、年の始まりという意味になります。つまり”賀正”とは、”(一年の)始まったことを祝います”という意味で用いられています。

昔の人は、生まれた時を”1歳”として、元旦が来るたびに1歳年を取るという”数え年”で年齢を計算しました。いうなれば、みんな元旦が誕生日だったようなものです。一年を安泰に過ごし、また新年を迎えたことで、歳をとる。それを素直に喜びましょう。それが賀詞に込められた気持ちです。

今、世界の様々な場所で、新年を祝う事が出来ない人が沢山います。そんな時代でありながらも、其々の国の、其々の宗教で、”祝う”気持ちを多くの人に伝えるために、言葉と行動に移しています。戦争という災厄に苦しむキーウでツリーに燈りが灯されたと言う話は、世界中に感動を伝えました。

特別な行動は不要です。私たちが只、新年を明るく祝い、その気持ちを心において”おめでとう”と語り掛ける。そうした行いを一人でも多くの人が実践できれば、世界は平和になるのかも知れません。そんな未来を確かめられる一年になればと思います。

12月の言葉

長生きも修行のひとつ

「長生き」は、必ずしもこの世の生存年齢数に関係ないでしょう。その人の人生の充実度であると思います。

たとい年若くして亡くなっても、充実した生涯をおくったのなら、その人は「長生きした人」というべきです。

あるとき、近世落語名人のひとり、三遊亭円朝の「長生きも芸のひとつ」との逸話を聞いた臨済宗南禅寺派の柴山全慶管長が、言下に「長生きも修行のひとつ」とにこやかに申されたそうです。

石田三成は、刑場に引かれる途中、役人に”湯”を所望したところ、役人はつるし柿を与えますが、それを拒んで三成は、「柿は啖の毒、私は一秒の時間も生を惜しむ」と申したそうです。三成にとって、長生きも武芸のひとつだったのでしょう。

11月の言葉

大江千里(おおえちさと)

平安時代が決して平安では無い時代に活躍した『歌人』です。『古今和歌集』の10首を始めとして、の勅撰和歌集に25首が入集されている平安時代屈指の歌人です。この時代は、日本文化の神髄ともいえる「和歌」が成熟期を迎えた、雅(みやびな)時代でもありました。しかし一方では、東日本大震災に匹敵した貞観大地震(869年)、現代の富士五湖を形成し、青木ヶ原樹海を作り出した富士山の貞観大噴火(864年)、そして都においても大きな被害をもたらした南海トラフを震源とする仁和大地震(887年)、という天災が繰り返し列島に襲い掛かった時代でもありました。

歌は「紅葉が風に吹かれる様よりも、命はより儚いものだ」と、歌っています。紅葉は、一瞬の中で風に靡いて地に落ちます。それよりも儚く消える命の有様に心を痛めたのでしょうか。大江千里の経歴はあまり詳しく伝わってはいませんが、宮中の官職に就いており、伝え聞く地方の惨状に憐憫の情を寄せて詠んだ歌なのかも知れません。

振り返れば人生は風に靡く一葉の紅葉よりも短い一瞬です。だからこそ、悔いの無いように生きなければならないと考える必要が在るのでしょう。

10月の言葉

今を大切に活きる

良寛禅師の詠まれたうたです。

取り返せない過去を悔やんだり、どうなるかわからぬ未来(さき)を心配するより、"今できること"を考え、今この瞬間を精一杯生きることが大切と良寛禅師は言っています。

”今”という”瞬間”は、次の瞬間には”過去”になる儚い時間です。私達には、その一瞬の僅かな時間だけしか自由にできません。”未来”は、其の”今”を積み重ねた時間です。”より良い未来”は、今をより良く生きてこそ、繋がる時間でしょう。

其の”今”をより良く生きる為に、私たちに課せられた”使命”とは、限られた時間である「命」を無駄なく”活かす”ことです。たとえば、料理をする調理人が、素材で在る”命”を無駄なく”活かす”ように、私たちもまた、”今”と云う一瞬に自らの命を活かし、「いのちの活性化」を図って、より良い未来を創る努力をしなければなりません。

良寛禅師は、人が自由にできる”一瞬”を大切に生きて欲しいと願っていのだと思います。

9月の言葉

彼 岸

春分の日』と『秋分の日』を『彼岸の中日』とよび、その前後3日に渡る一週間が『彼岸』と呼ばれる期間です。今年は、9月23日が『秋分の日(中日)』なので、9月20日(入り)から9月26日(明け)までが『彼岸』の期間となります。

仏教では太陽の沈む真西の方角に西方極楽浄土があると考えられています。お彼岸は、この苦しみの世界(此の岸)から、安らぎの世界である遥かな浄土(彼の岸)に居られるご先祖様、亡き人を想い感謝し、心の修養(心の種蒔き)を行う期間です。

しかし、”心の修養”などと言われますと、とても難しい話に聞こえてしまいますが、それはそれ程難しい話では有りません。心の片隅に『六波羅蜜』と呼ばれる戒め(いましめ)の言葉を置いて生活するだけで、自然と実践することができるでしょう。

その『六波羅蜜』とは、『布施:助け合う事』、『持戒:決まりを守る事』、『忍辱:辛抱する事』、『精進:努力する事』、『禅定:心を落ち着かせる事』、『智慧:計らいの無い心に気付く事』。決して特別な戒めなどでは有りません。

8月の言葉

魂祭(たままつり)

魂(霊)の集まるお祭りとは、言うまでもなく「お盆」の事を指しています。しかし、作者の北村季吟が言いたいことは「まざまざといますがごとし」と言う事なのでは無いでしょうか。その意味は、「まるで目の前に居るかのようにはっきりとしているさま」ということです。

毎年、お盆になりますと、ご先祖様が現世にお帰りになると信じられております。現世に在る私たちは、そんなご先祖様が道を間違えないようにお盆の始めの日に提灯に火を灯しお迎えに参ります。これを『迎え火』といいます。

光明寺でも、毎年、迎え火が行われております。陽が暮れる頃より、境内から墓地へと続く道筋に灯りをともして道を描きます。ご先祖様をお迎えに来られたご家族や縁者の方々は、提灯に火を入れご先祖様をお迎えし、その道を通り家路へと向かいます。

まるで一年振りの再会を喜ぶご先祖様の霊が、揺れる提灯の明かりと為って微笑んでいるようです。

7月の言葉

冷(すず)しかりけり

曹洞宗を開かれた道元禅師が、永平寺の夜空を眺めていて詠まれたと伝わり、四季の姿をあるがまま詠んだとも、坐禅の姿(深い悟りの境地)を意味するとも捉えられています。

”四季の姿”は外側に現れる姿。”すずしかりけり”とは、目にした情景を”爽やか”と感じた心の衝動です。それは観る人の心が”爽やか”であるからこそ感じられる素直な感情です。

しかし万物は流転し、常ならざる”無常”の理の中に在ります。美しい花もやがて朽ち、月も翳り形を変えます。私達は、そうした”無常の世界”を在るがまま受け入れ、そこに”心の安寧”を見つけ出すことが大切です。例えば花は朽ちるも実を結び、その実を啄む鳥が集まり、美しい声を響かせ、落ちた種はまた次の世代に続きます。”無常の世界”には、常ならざる美があります。

この句は春夏秋冬のそれぞれの美を愛でながら、季節が移ろえば、季節ごとに異なる美の在る事を示唆しています。それは”無常の世界”の受け止め方に他なりません。坐禅は、己の胸中を探り、自然の摂理を理解し、すべての物を在るがまま素直に受け入れられるように、心を調(ととの)える手段と言えるでしょう。

6月の言葉

さらさらと…

甲斐和里子さんの詠まれたこの和歌は、枕に「岩もあり 木の根もあれど」と置かれ、何物にも遮られない水の自然な有様を詠んでいます。

古より「水」を例えに用いる言葉は数々ありますが、その引用は様々。水を鏡に例える「明鏡止水」、万物流転を説く「覆水盆に返らず」、不可分な関係を指す「水魚の交わり」、水を恐れ覚悟の証とする「背水の陣」、また老子の言葉にも「上善如水(上善は水のごとし)」という言葉もあります。これらの言葉の数々を受け入れる事が出来る私たちは、元より水が「千変万化」な存在であることを知っているのです。

甲斐和里子さんは、岩や木の間を澱みなくさらさら流れる水の姿に『無為自然』を感じたのかも知れません。

岩も木もある人生の中で、ことさらに知や欲をはたらかせず、流れる水のように自然に生きたいと思ったのでは無いでしょうか。

5月の言葉

父の怒り

大魯は、江戸中期の俳人です。

父に怒られた思い出など決して楽しい思い出ではありません。それでも牡丹の花を見掛け、脳裏に浮かんだ「父に怒られた思い出」を、懐かしく感じた驚きを詠んだのでしょう。たしかに、願っても叱られる事さえ無くなると、時には悔しい思い出さえ懐かしいと感じられるものです。

幼い子供にとって、牡丹の花を手折る事に罪の意識など在る筈もなく、父に叱られてもなお、何が悪いのか理解できず、ただ泣いただけの思い出でしょう。そんな思い出も、自らも父の歳となり、その時の父の怒りと落胆、そして自らの愚行を知り、素直に反省したからこそ懐かしむことが出来るというものです。

人間は知らないうちに多くの事を忘れています。だからこそ、この句のように日々の些細な出来事を受け流さず、それを切っ掛けに、何か思い出すように努めるのも良いかもしれません。

4月の言葉

百花春至為誰開

百花春至為誰開(百花春に至りて誰がために開く)は、禅書の『碧巌録』の第五則の頌(禅意を盛った詩)の結び記されます。現代では花の美しさは、昆虫を招き、受粉を手伝わせ、種を存続させる為の活動と説明されます。しかしそれは花の意図する結果では在りません。花を選び種を存続させる昆虫が選択した結果というのがダーウィンの進化論です。

八木重吉は二十九歳の若さで他界した詩人です。彼の詩に在る「ひとすじの気持ち」と云う表現からは、「人が見ていようとみていなかろうとに関係なく、花だから咲くだけ。」という花の気持と共に、そうした生命の一途さゆえに「花は美しい」という、倫理的な『』を感じます。

花は花だから咲くだけで「美しく咲いて愛でられたい」と云う「欲心」から花を付けません。人や昆虫は「一途に咲いた花」に「心」を動かされ、自らの意思で花を愛で、花を摘み、蜜を吸い、花に代わり花畑を広げてゆくのです。

人もまた同じ。人に生まれ一途に生きる。人は人で在るその為に生きるだけです。それは『自己肯定』と呼ばれる心理に通じます。「自分の人生」を「自分のもの」として生きる事が「人で在るその為に生きる」ことではないでしょうか。

3月の言葉

光明寺先住 徹宗和尚

諱(いみな)を徹宗、道号・壽仙を称し、住持妙心壽仙宗和尚大禅師を贈られた光明寺第十六世住職・渡邉徹宗和尚の残した言葉です。現住職、渡邉徹範の師なり現在へと導いた人物です。

徹宗和尚は現在の中華人民共和国の新京(長春)に生まれ、昭和二十一年に山形県南陽市の護国山全城院に戻り、昭和二十八年に得度します。その後、山形大学工学部を卒業後、就職により足利と縁を結び、後に本山妙心寺での五年の修行を経て昭和五十三年に光明寺副住職に就任し檀家様と接するようになりました。

昭和六十二年に第十五世紹徹和尚遷化に伴い住職となり、山門・本堂の修復、位牌堂の創建など寺の発展に努めつつ、傍らにおいて学習塾「光明禅塾」を開き、工学部卒の知見を活かし小学生から高校生までの子供に英語、数学を指導しました。厳しく在りながらも優しい人柄で多くの檀家・子弟に慕われた人物です。平成十八年三月十五日惜しまれつつ遷化いたします。

徹宗和尚は、冷静かつ几帳面な一面を持ち先進技術への造詣も深い人でした。その一方、昔ながらの人と人との繋がりを大切にし、その思いは今も春先のボタン祭りに引き継がれています。徹宗和尚の遺したこの言葉には、ご先祖様から引継がれている「命の尊さ、命の有難さ」を忘れないで欲しいと言う思いが込められているように思います。

当年、徹宗和尚の十七回忌を迎えます。

2月の言葉

こんな時だからこそ

この言葉は、『氣心腹人己』と書き、「一休さん」の呼び名で親しまれる「一休宗純」が、「菩薩とは何か」と問われた時の返歌と伝わっております。元々は、達磨大師のお言葉とも言われます。

一休宗純(1394年~1481年)の生きた時代は、平和に程遠く、戦に明け暮れ、先の見通せない時代でした。そうした混沌の中に生きた(辛辣な皮肉屋の)一休宗純がこの言葉を残した事を考えると「戦争(いくさやあらそい)が起こるのは『氣心腹人己』が逆さまだ」と言いたかったのかも知れません。

コロナ禍に苛まれる現代もまた、戦に明け暮れた混沌の時代同様、なかなか先が見通せません。だからこそ、『氣は長く 心は丸く 腹立てず 人は大きく 己は小さく』生きることで、こんな時代でも生き易くなるのではないでしょうか。

1月の言葉

緊張の一瞬

禅語に「龍吟雲起 虎嘯風生(りゅうぎんずればくもおこり とらうそぶけばかぜしょうず)」と言う言葉があります。龍が叫べば雲が巻き起こり、虎が吼えれば自然に風が生じて来る。無心にして互いに呼吸がぴったりの様子を表します。これは例えるなら、大相撲の取り組みで行司と両力士がピタッと息を合わせて取り組みが始まるあの間合いだと思います。何事においても調和を保つ為にはこの間合いが一番肝心です。

「緊張の一瞬」とも言うべきその瞬間は、誰もが少なからず遭遇する瞬間ですが、迷い、躊躇し、気を抜く事で大切な一番を取り零してしまいます。相撲に例えるならば行事軍配がかえるその瞬間まで気を抜かずに取り組むような、そんな一年で在る事を願っております。

なお、余談では在りますが、足利家の二代当主であり、事実上足利家を創建した足利義兼公は、出家後、法名「義称」を名乗ったと伝わりますが、「称」の字は「嘯」と同音異字です。「称」が単に名乗りを意味するのに対し「嘯」は咆哮を意味する言葉であり、武将として九州にまで兵を進めた義兼公の法名としては「義嘯」が正しいと言えます。また、樺崎寺にも古に源嘯堂という祠が存在していたとも伝わります。

※ 鑁阿寺縁起では「稱」の字が用いられていますが、古に樺崎に在ったされる源嘯堂はこちらの文字です。

12月の言葉

大切なもの

釈尊(ブッダ)は、過ぎし日に未練を持つことを「過去、それは既に捨てられたり」と喝破し、「未来、それはいまだ至らざるなり」と諭します。その教えは「ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ」とのことでした。

白隠禅師の師である正受老人もまた「一大事とは、今日只今のことなり」との言葉を残されています。人生における大事とは、常に目の前に在る事なのだから、今、この時をこそ、懸命に生きなさいということです。いずれの言葉も「今」こそ大切であるという教えです。

人は誰しも過去の選択を後悔し、まだ見ぬ未来の誘惑に心を揺らします。それによって、今作す(なす)べき努力を怠ってしまう事があります。

今の自分は、過去の様々な選択の結果です。どれだけ悔いても決して変わる事は有りません。そして夢見る未来もまた、何かを約束されたものでは有りません。未来のために人に出来る事は、今、目の前に有ることに努力し、最善と信じる選択をすることだけです。過去を振り返らず、今この時をこそ悔いなく大切に生きる事が必要です。

11月の言葉

最後の一瞬

この句は、良寛和尚の詠まれた辞世の句と言われています。愛弟子であった貞心尼の来訪を喜び、「いついつと まちにし人は きたりけり いまはあいみて 何か思わん」と呟き、この句を詠まれて亡くなられたと貞心尼が書き残しました。

この句の解釈は実に様々ですが、詠まれた場面から、死に臨む自らを散り際の紅葉に擬えたと言われます。紅葉は紅に染まり、枝を離れ散りゆく時、裏も表も在りのまま、全てを晒し、そして地に積もります。待ちわびた愛弟子に看取られた死に際の一瞬が描かれており、良寛和尚が満足してあの世へと旅立った、そう信じさせてくれる一句です。看取りは、旅立つ者を見送る姿。旅立つ者にとっての慰めであり、見送る者にとっては、生涯その人の人生を忘れずに過ごす為、心に刻む大切な一瞬です。

表ばかりが人生では在りません。身近に在ればこそ、怒り、悲しみ、失望、様々な欲と葛藤、醜悪な姿を晒し、目にする事も有るでしょう。そうした全てを知る人同士こそが、いちばん大切な人です。そうした大切な家族・友人への感謝を忘れず生きたいものです。

10月の言葉

さらりと

中国南北朝時代、梁の武帝は篤い仏教信者であり、達磨大師がインドから中国に渡ってこられた話を聞き、特使を派遣して都に迎え、宮中にて対談することとなりました。そして質問します。
 「私は皇帝になって以来仏教を守り広めることに勤めてきました。寺を建てたり、僧侶に供養をしたり仏像も作らせ、写経などもいたしました。どのような功徳がありますか」
 達磨「無功徳(功徳は無い)」 
 更に武帝は「仏法の大切なありがたいところは」と尋ねると、
 達磨「廓然無聖(心がカラリとして、何も無い)」と答えました。

誰しもが褒められたい、認められたいという承認欲求というものがあります。武帝は善行を並べて、達磨大師に褒められたい、御礼を述べてもらいたいとの思いが有ったのかも知れませんが、報いを求めて善い行ないをする事が、悩み迷いになる事を達磨大師は「無功徳」と一言で伝えています。更に仏法は有難いという思いが前提にある質問に対し、聖凡・迷悟・善悪などの二元対立を「廓然無聖」と一刀に断ち切られます。

人の為に善い事を行なったのにという気持ちを抱え込んでいると、お礼が無いと腹が立つことがありますし、善行もあまり誇らしげにされると周りからは恩着せがましいと疎まれることもあると思います。

達磨大師は武帝の善行を非難されているのではなく、功徳があるという見返りを求める心を諫めておられます。功徳を積んだという考えも、功徳が無いという意識も無い、ただ無心にさらりと善行を重ねることで、「廓然無聖」の境涯に到り、それが真の功徳であると達磨大師は伝えています。
 秋の空のように留まらない澄み切った心で日々の務めをさらりと行じてまいりたいものです。

9月の言葉

清風拂明月

日本は四季に恵まれています。夏という活動的な季節を過ごし、実りと共に黄昏を迎える秋は人間に多くの事を教えてくれる季節です。「清風拂(払う)明月」と云う秋の夜を描いたようなこの句は、「明月拂清風」と言う句と一対を為して、『禅語字彙』に「本體が作用となり、作用が本體となりて、一方に固定せざるをいふ」と記されます。清らかな風が明月を払い清め、清らかな風もまた明月の白き光に払い清められると言う意味です。

色々な解釈がありますが、例えば2021年の話題としては、「オリンピアン」と「ボランティア」の関係は正に「明月」と「清風」の関係、「本體」と「作用」の関係では無いでしょうか。オリンピアンはボランティアの影の努力で光輝き、またボランティアもオリンピアンによりその存在に光が当たり輝きました。生きる上では、誰しも自らが「本體(本当の姿)」ですが、それは周囲のあらゆる「作用」により輝きを増し、そして自らの輝きで周囲も輝かせています。

ご先祖様が在って現在の自分が在り、そしてまたご先祖様に華を手向けて手を合わせる姿がご先祖様を輝かせます。そうした人の世の成り立ちと関係を知ることは、日常の様々な行動の意味を感じる切っ掛けになるかも知れません。

8月の言葉

ご先祖様の里帰り

光明寺では8月13日から16日の「お盆」の、はじまりの13日に迎え火を、ご先祖様をお迎えする檀家様の標として灯し、ご先祖様のお帰りになる16日には施餓鬼供養を執り行い、ご先祖様の安寧を願います。

作家の武者小路実篤が「生きている者が亡き人を思う心よりも、亡き人が我々生きている者を思う心に、ひとしお切なるものがある」と記す通り、ご先祖様は常に私達の事を、思い、考え、共に在ります。人の情は、生きている時は無論のこと、死により世界を違えても尚、時空を越えて傍らに在ります。常に皆様を見守っています。

感謝しましょう。お盆の一日、佛壇を清め、お迎えしたご先祖様に「お輪(おりん)」を鳴らし手を合わせましょう。きっとご先祖様は、貴方に微笑み返してくれる筈です。

7月の言葉

もとの姿は変らざりけり

江戸時代の末(西暦1863年)3月9日、ひとりの剣士が、懐に徳川慶喜の意を記す勝海舟の手紙を携え駿府に向います。途中、行く手を阻む官軍陣中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と大声あげて通り抜け、慌てて後を追った村田新八、中村半次郎を振り、見事、西郷隆盛に面会を果たします。その人こそ、光明寺十四世住職『小野玄保和尚』の伯父、「全生庵殿鉄舟高歩大居士」こと『山岡鉄舟』でした。その縁によリ、山岡鉄舟は何度か足利を訪れたと伝わります。

今年の7月は、2年ぶりに富士山の山開きが在ります。そんな富士の姿を詠んだ鉄舟の一首は、とかく表面のさまや、うつりかわりに眼を奪われ、「もとのすがた」が不変であることを見落としがちな、私達の日常を詠んだと言えるでしょう。人の心の奥底には、不変の佛性(純粋な人間性)が備わることを見逃さないようにしなければ成りません。元は幕臣で在りながら明治に入り宮に仕えた鉄舟が、仕える主が変わっても、山岡鉄舟という者の志は変わらない「不二(ふたつに非ず)=富士」の山だと詠んだそうです。

6月の言葉

継続は力なり

”或る日の夕方、北村西望は「長崎の平和祈念像」の足下に蝸牛(かたつむり)を見つけました。翌朝その蝸牛は、祈念像のてっぺんにまで登っていたそうです。この句は、「平和祈念像」の足下から、その小さな体でその先端までよじ登った蝸牛の姿に、非才でありながらも努力し続け名を成した自らの人生を回顧して詠んだ句と伝わります。

北村西望は遅咲きの芸術家で、その前半生は苦難と挫折の連続でした。『自分は天才ではない。他人が五年でやることを十年かけてやる』。自らに言い聞かせて歩み、やがてその才能が認められ、戦後、四年もの年月を費やし「長崎の平和祈念像」を完成させました。

努力は決して裏切らない。継続は力なり。色々な言葉がありますが「諦めたらそこで試合終了」という言葉が若い人には馴染みが有るかも知れません。

5月の言葉

感動は心の薬

松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の途中、日光東照宮を詣でた際に詠んだ一句です。”あらたふと”(あらとうと)とは、「尊くありがたい」と云う感動を表現しています。

「新緑の季節」は句に詠まれた通り、命の再生と云う尊い季節ですが、環境にとても敏感な人は、時に進学や就職などで大きく環境が変わることで、気持ちが塞ぎ、ささいな事に「憂い」を感じるかも知れません。

そんな時には、春の暖かな陽射しの下、少し周りの景色に目を向けて下さい。爽やかな陽射しに芽吹いたばかりの若葉が煌めく姿が新たな生命の営みを伝えてくれます。それはやがて大きく葉を広げ、夏の強い陽射しを受け止め、大きな木陰を作り次の世代を育みます。なんと大きく雄大な未来でしょう。それが「あなた自身」の姿です。

新緑の尊い姿に自らを重ね、次の季節に向けて人生を自ら創造する。そうすることで日々の暮らしに喜びが生まれ、あなたを幸せに導きます。

4月の言葉

他生の縁

”袖振り合うも他生の縁”という言葉を耳にしたことが在るでしょう。通りすがりに袖が触れた一瞬も、前世からの縁なのだという話です。出会う人同士、必ず何かしらの縁(えにし)で繋がっていると云う言葉です。

仏教語にも似た意味の『無縁』という言葉があります。仏教に於ける『無縁』の正しい意味は、『無条件の縁』です。人の繋がりは、理由在る『縁』だけではなく、”偶然”や”突然”の細やかな出会いも、大切な『縁』だと諭しています。

桜の華を愛でようと、満開の桜の木の下に集う人は、日々の生活で見知った人では少ないでしょう。でもその日、その場所を訪れた『縁』は、あなたの中に新しい道を示す切っ掛けとなるかも知れません。

4月の末、光明寺では桜に代わり色とりどりの『ぼたんの華』が咲き競います。是非、花を見て、心を和ませ、見知らぬ人同士、言葉を交わさずとも、同じ花の思い出を共有し、『縁』を紡ぐのも良いかも知れません。

3月の言葉

生者必滅 会者定離

会者定離(えしゃじょうり)ありとはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり』、親鸞聖人が詠まれたと伝わります。

「会者定離」と云う四文字熟語は、「遺教経」という仏典に由来し、平家物語にも『生者必滅 会者定離』と記され世の儚さを伝えます。それは『命あるものは必ず死に、出会った者は必ず別れる』という人の世の理(ことわり)を述べています。会者定離という理を知る親鸞聖人でさえ、突然に訪れた「別れ」に驚き、戸惑う姿が感じられます。

3月は卒業と云う節目の季節。「会者定離」は卒業式や異動、退職等の挨拶に用いられます。「出会い」があれば「別れ」は必ず訪れる、それは運命だからと慰めながら、だからこそ、新しい出会いに巡り合うとき、決して無為に時間を過ごさぬようにと諭す言葉に用いられます。覆水盆に返らず、無為に過ごした時間は取り戻せません。後悔の無いよう、一期一会を大切にしましょう。

2月の言葉

梅花開五福

梅の花は、冬の厳しい寒さの中、どの花よりさきがけて咲いてくれます。梅の花弁は5枚あるので、五福を開くということです。

五福とは、1長生き 2財力 3無病 4徳 5天命の5つを指すと言われています。また、花が開く、すなわち悟りを開くという意味もあるそうです。長い長い修行の末、悟りを開くと、万物が光を放ち、仏の世界が出現する。 本当の福はそれなのでしょう。

春はもうすぐです。

令和3年1月の言葉

一休宗純

頓智で有名な「一休」さんこと「一休宗純」または「一休禅師」とも呼ばれる臨済宗の僧侶が残した一句です。現代的な感覚では正月早々扱う事の難しい一句ですが、この句の本意は『日々を大切に』と言う思いで在ると感じます。

一休宗純の生きた時代(西暦1394年~1481年)は日常の中に「戦」の在る時代でした。関東では西暦1454年~西暦1483年まで28年にも及ぶ『享徳の乱』が引き起こされ、足利もその戦場のひとつとなります。足利学校や善徳寺が現在の場所に移されたのはこの時代と見られています。そして西暦1467~1477年にかけての『応仁の乱』では一休宗純が身を置いた大徳寺の在る都も戦禍により焼き尽くされてしまいました。

そうした時代を生きた一休宗純の詠んだこの句は「正月をめでたいと祝うが、やがて訪れる死への一里塚(マイルストーン)でもある」と言う正月を祝う人への皮肉が込められ、すべては見方や考え方により変わる「常ならざる」事、「諸行無常」を説いた一句とされます。

しかし一休宗純は有名なへそ曲がりでしたから思いを真っすぐ伝えたりは致しません。こんな皮肉な一句も一休宗純が詠み人となるとその意味も裏返り「いつか冥途に旅立つ日が来るのだから毎日を大切にしなさい」となります。一休宗純の句は、その生涯や生き方まで用いて教えとする点で禅僧として悟り得たと言えるのかも知れません。

12月の言葉

心の煤(すす)

越智越人(おち・えつじん)江戸中期の俳人。

歳の暮れに家の内外の清掃は隈なくしたものの、いちばん肝心な心の煤はらいを怠って正月を迎えた実感を吟じたものです。

薪や炭を用いなくなった現代、台所は煤けなくなりましたが、心に煤がたまることは今も変わりません。むしろ昔より今の方が心の煤は多くなったのではないでしょうか。

11月の言葉

寒 山 詩

中国唐代、西暦7~8世紀の僧で文殊菩薩の化身ともされる「寒山」が詠んだ漢詩。寒山の活躍した時代は日本の奈良時代末から平安時代の初めにあたります。

吾心似秋月 碧潭清皎潔 無物堪比倫 教我如何説(原文)

吾が心秋月に似たり、碧潭清くして皎潔たり。物の比倫に堪ゆるは無し、我をして如何が説かしめん。(邦訳)

「私の心は秋の名月に似て、青々とした深い水のように透明で汚れがない。これにならぶことのできるものは他に無い。私はこれをどのように説明すればいいのか分からない(現代訳)」全文で「比類なく無色透明な私の心を教える術が無い」と悩みを述べることで、欲や憎悪という心を苛む色に染められていない「無色の心」の大切さを諭しています。時折、自らの心を眺め、心の月に雲が掛かっていないかを確かめる事が大切です。

10月の言葉

面壁九年

武者小路実篤。小説家・劇作家。40歳の頃から絵筆を握るようになり野菜や花を率直かつ素朴なタッチで写生し、脇に簡潔にして意味深なさまざまなことばを書きつけている。今月の一文もまたそのひとつ。

背景にある陰影は白隠禅師が描いた「菩提達磨」の御姿です。達磨大師は禅宗の開祖として「祖師」と呼ばれており、光明寺が属する「臨済宗」もまた「禅宗」の一派です。達磨大師はインドから中国に渡り、少林寺に籠り、九年もの間只壁に向かって坐禅を組み遂に悟りを得たと伝わります。この故事を「面壁九年」と呼び、長い座禅の間に手足が萎え朽ちたと云う達磨の姿を模した物が、「祈願だるま」「必勝だるま」「福だるま」として身近に目にする「だるま」飾りとなっています。達磨大師の御命日は十月五日。達磨忌と呼ばれ大切な忌日となっています。

武者小路実篤の思いは、「桃栗三年柿八年」と果樹が実をつけるにも時間が掛かり、達磨大師は九年も壁に向かい坐禅を組んで悟りを開いた。自分は一生をかけて実を実らせるのだ。と云う。実篤の真意がいずれに在るかは読む人次第ですが、「思想の借り着は害がある」と述べたと在るように、実篤は他者を尊敬し影響を受ける事は是としながらも、他者を模倣し比べることは身を亡ぼすと考え、自分は他人と同じで無くても良いと強く思っていたようです。

9月の言葉

種田山頭火

五七五の型に縛られず作る『自由律俳句』の代表的俳人。

単に山頭火とだけ呼ばれることが多い種田山頭火は、明治15年山口県防府市に生まれ、15歳の頃から俳句を始め、昭和15年に生涯を閉じるまで八万もの俳句を詠んだと伝わります。しかしその大半は知られていません。生家は村の大地主で裕福に育ちましたが、晩年「無駄に無駄を重ねたような一生だった」と述懐する通り、その生涯は不幸や不運、そして数々の失敗から自棄になり多くの失意を味わった人生でした。晩年、日本各地を放浪しその中で自らの感情を俳句として昇華させ、多くの作品を世に残してゆきます。

山頭火が「彼岸花」を題材として詠んだ俳句は他にも幾つか伝えられており、その中に「彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり」と云う句があります。山頭火にとって彼岸花(曼殊沙華)は、「仏心」を象徴する華だったのでしょう。他に「悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる」と云う彼の人生観を垣間見る事の出来る一句も残されます。

8月の言葉

いのちのバトン…

「ふた親」が居たからこそ自らの人生が始まった。そう考える機会は日常余り無いかも知れません。しかし今ここにある数多の命は全て遥か昔から綿々と繋がり紡がれた命です。それを私達に諭す言葉を『相田みつを』先生も残しています。ここに「いのちのバトン」と云う詩をご紹介しましょう。

父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと十代前で 千二十四人
二十代前では・・・?なんと百万人を超すんです
過去無量のいのちのバトンを受け継いでいま、ここに自分の番をいきている
それがあなたのいのちです
それがわたしのいのちです

相田みつを

こうした遥か昔の多くの人の魂が現在の自分に繋がる。それを感じられる数少ない機会が「お盆」かも知れません。昔から毎年8月13日から16日までのお盆の時期には、ご先祖様の霊が「この世」に戻られると信じられており、ご先祖様の道行きを案内する為に迎え火を灯し家族でお墓参りをします。「お墓参り」は決してご先祖様の魂の安寧を願うだけではなく、生き続ける親族に魂の繋がりを感じさせる為にもある事です。

7月の言葉

人生は旅なり

物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえです。

執着は手枷足枷となって心を苛む苦しみの根源です。しかしそれが分かっていても執着を捨て去る事など常人には困難な行いと言えるのでしょう。新型コロナ感染症の蔓延防止の為に自粛の機会を得た私達でしたが、様々な人の動きを見るにつけ執着を捨て去る事の困難さを思い知らされたことは皮肉な事と言えるでしょう。

今回の「自粛」を例えれば、人生という旅の途中、雨に降られ雨宿りするような物。無理して旅路を急げば却って災いに逢い難渋する事にもなりかねません。勿論、雨が上がったからと急ぐことも用心が必要です。でも、わかっていても出掛けたくなるのは人情というものでしょうか。

もしかすると新型コロナよりも「人生という旅を急ぐ執着」の方が根の深い病魔なのかも知れません。

6月の言葉

雨の日には…

「晴耕雨読」の語源は明治時代に塩谷節山が書いた漢文詩に在ると言われそれ程古い言葉では無いようです。この言葉は引用者の思いを伝える「例え」として用られる為、仮に怠惰な人が誤用すれば「怠惰な日常を肯定する例え」と成ってしまいます。この言葉は勤勉な人が「在りのままに”生きる”姿」を伝える例えです。怠惰な日常を肯定する例として用いては言霊の思いに反するでしょう。

この「晴耕雨読」という言葉を辞書で引くと「世俗(社会)から離れた悠然とした生活」と説明されます。しかしその文字を読み解くと「”晴”の日には田を耕し(生活の糧を得て)、”雨”の日には読書する(人生の糧を得る)」という「勤勉」の例えであり、これを「世俗を離れた生活」の例えとすると多少の誤解は免れません。字面(じずら)通りに解釈すれば”晴”とは常なる時を意味し、”雨”とは常ならざる時を指します。常ならざる時も無為に過ごさずに”出来る事をする”と云う例えです。まさに緊急事態宣言下の自粛期間は”雨”と呼べる時期でしょう。

その自粛期間もそろそろ終わりに近づき、常なる日が再び始まろうとしています。しかしまた訪れるかも知れない”雨の日”に”何をするか”で人生の豊かさに違いが生れるかも知れません。”雨の日”には”雨の日”の過ごし方を見つける事が必要な時代かも知れません。

5月の言葉

善き友

お釈迦様は、お弟子の阿難尊者に「善き友、善き仲間を持つことは聖なる修行のすべてである」と諭されました。何事も一人では成し遂げがたい。善き仲間に恵まれることは幸いである。との教えです。

例年当山では連休のこの時期、お釈迦様の誕生をお祝いする「花まつり」として「ぼたん祭り」を開催しておりました。しかしながら本年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点からお祭りを中止させて頂きました。
それでも例年に無く静かな光明寺境内では、何も知らない牡丹が今年も大輪の花をつけています。ただ、風に靡くその姿は心なしか寂しく感じます。

4月の言葉

結果自然成

「一華開五葉」という言葉は「結果自然成」という言葉と対句となっており、禅宗の初祖菩提達磨大師が慧可に伝えた伝法偈の中の一句と伝わります。古来開運吉祥の語として用いられました。

『(花を咲かせる)努力を惜しまなければ、結果(実)は自然と成るものだ』との教えで、「人事を尽くして天命を待つ」と同様の言葉です。

疫病が流行る時には、手洗い、うがいを心掛け、人混みを避け静かに時を過ごす事が『人事を尽くす』ことであり、即ち「一華開五葉」と云う事です。その結果は自然と現れるであろうという教えです。

3月の言葉

「いのち」の再生

この句は春の息吹を如実に示した、「いのち」の再生に対する讃歌としてとらえられているようです。木々の芽吹きを見るとき、本格的な春の到来を感じます。固い冬芽がだんだんとふくらみ、潤いを帯びた春の空気に芽を出す。これこそが春の到来でしょう。冬枯れの野も、緑の若草に覆われ、いのちの息吹を感じさせてくれる春。そんな季節を私たちは待つのです。春は万物のいのちの再生と活動の再開を端的に教えてくれる季節です。

しかし、禅語では「生ずる」ものを何と捉えるかによりこの句に別の解釈を与えます。それは「修行によって心をすっかり浄化させ、焼き尽くしたと思い、煩悩がなくなったように見えても、その根源には焼き尽くすことのできない煩悩がしっかりと残っている。ゆえに、不断の努力なしには煩悩の滅除は困難である」との解釈です。ここには、因果律を見据えた仏教ならではの発想があるようです。

参照:妙心寺

2月の言葉

涅槃会

『己こそ己の寄るべ、己を置きて誰に寄るべぞ。よく整えし己こそまこと得難き寄るべなり。自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが清し。清きも清からざるも自らのことなり。他のものに寄りて清むることを得ず。』

法句経に記されたお釈迦様の言葉で、お釈迦様が入滅されるとき弟子に言い残した言葉と伝わります。

陰暦の2月15日はお釈迦様が入滅された日とされており、仏教においてはお釈迦様の誕生を祝す「降誕会」、悟りを開かれたと伝わる「成道会」と共に大切な日として伝えられます。禅語にある「自灯明、法灯明」の語源となったと言われる言葉です。

令和2年1月の言葉

慶賀光春

今年が皆様にとって良い年でありますよう願いを込め、その始まりの月を大切に思いつつ相田みつをの言葉を記してみました。

相田みつを氏の言葉は「謎掛けの言葉」が多いように思います。読む人の感性に訴えることで十人十色に異なる意味を感じられます。それだけにその言葉の意味を問うのは野暮というものですが、それでもなおその意味を語りたいと思うのは人間だからでしょうか。

この言葉は『原点であり自分でもある「一」とは何か』を問う言葉です。シンプルに「自分を見つめ直せ」とも聞こえますし、「原点」と云う過去と、現在で在る「自分」とを繋ぐ「一」を問い掛けるようにも聞こえます。氏の言葉には、読む人が自分の身の上を投射して心に響かせる「隙間」があり、その隙間によって私達に「何か」を気づかせてくれます。新年にあたり今日の自分の原点を見つめる機会になればと思います。

相田みつを氏が果たしてどのような思いで言葉を残したかは分かりません。読む人が感じた事こそが答えだと私は思います。

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