今月の言葉

12月の言葉

 

大切なもの

 
釈尊(ブッダ)は、過ぎし日に未練を持つことを「過去、それは既に捨てられたり」と喝破し、「未来、それはいまだ至らざるなり」と諭します。その教えは「ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ」とのことでした。

白隠禅師の師である正受老人もまた「一大事とは、今日只今のことなり」との言葉を残されています。人生における大事とは、常に目の前に在る事なのだから、今、この時をこそ、懸命に生きなさいということです。いずれの言葉も「今」こそ大切であるという教えです。

人は誰しも過去の選択を後悔し、まだ見ぬ未来の誘惑に心を揺らします。それによって、今作す(なす)べき努力を怠ってしまう事があります。

今の自分は、過去の様々な選択の結果です。どれだけ悔いても決して変わる事は有りません。そして夢見る未来もまた、何かを約束されたものでは有りません。未来のために人に出来る事は、今、目の前に有ることに努力し、最善と信じる選択をすることだけです。過去を振り返らず、今この時をこそ悔いなく大切に生きる事が必要です。

11月の言葉

 

最後の一瞬

 
この句は、良寛和尚の詠まれた辞世の句と言われています。愛弟子であった貞心尼の来訪を喜び、「いついつと まちにし人は きたりけり いまはあいみて 何か思わん」と呟き、この句を詠まれて亡くなられたと貞心尼が書き残しました。

この句の解釈は実に様々ですが、詠まれた場面から、死に臨む自らを散り際の紅葉に擬えたと言われます。紅葉は紅に染まり、枝を離れ散りゆく時、裏も表も在りのまま、全てを晒し、そして地に積もります。待ちわびた愛弟子に看取られた死に際の一瞬が描かれており、良寛和尚が満足してあの世へと旅立った、そう信じさせてくれる一句です。看取りは、旅立つ者を見送る姿。旅立つ者にとっての慰めであり、見送る者にとっては、生涯その人の人生を忘れずに過ごす為、心に刻む大切な一瞬です。

表ばかりが人生では在りません。身近に在ればこそ、怒り、悲しみ、失望、様々な欲と葛藤、醜悪な姿を晒し、目にする事も有るでしょう。そうした全てを知る人同士こそが、いちばん大切な人です。そうした大切な家族・友人への感謝を忘れず生きたいものです。

10月の言葉

 

さらりと

 
中国南北朝時代、梁の武帝は篤い仏教信者であり、達磨大師がインドから中国に渡ってこられた話を聞き、特使を派遣して都に迎え、宮中にて対談することとなりました。そして質問します。
 「私は皇帝になって以来仏教を守り広めることに勤めてきました。寺を建てたり、僧侶に供養をしたり仏像も作らせ、写経などもいたしました。どのような功徳がありますか」
 達磨「無功徳(功徳は無い)」 
 更に武帝は「仏法の大切なありがたいところは」と尋ねると、
 達磨「廓然無聖(心がカラリとして、何も無い)」と答えました。

誰しもが褒められたい、認められたいという承認欲求というものがあります。武帝は善行を並べて、達磨大師に褒められたい、御礼を述べてもらいたいとの思いが有ったのかも知れませんが、報いを求めて善い行ないをする事が、悩み迷いになる事を達磨大師は「無功徳」と一言で伝えています。更に仏法は有難いという思いが前提にある質問に対し、聖凡・迷悟・善悪などの二元対立を「廓然無聖」と一刀に断ち切られます。

人の為に善い事を行なったのにという気持ちを抱え込んでいると、お礼が無いと腹が立つことがありますし、善行もあまり誇らしげにされると周りからは恩着せがましいと疎まれることもあると思います。

達磨大師は武帝の善行を非難されているのではなく、功徳があるという見返りを求める心を諫めておられます。功徳を積んだという考えも、功徳が無いという意識も無い、ただ無心にさらりと善行を重ねることで、「廓然無聖」の境涯に到り、それが真の功徳であると達磨大師は伝えています。
 秋の空のように留まらない澄み切った心で日々の務めをさらりと行じてまいりたいものです。

9月の言葉

 

清風拂明月

 
日本は四季に恵まれています。夏という活動的な季節を過ごし、実りと共に黄昏を迎える秋は人間に多くの事を教えてくれる季節です。「清風拂(払う)明月」と云う秋の夜を描いたようなこの句は、「明月拂清風」と言う句と一対を為して、『禅語字彙』に「本體が作用となり、作用が本體となりて、一方に固定せざるをいふ」と記されます。清らかな風が明月を払い清め、清らかな風もまた明月の白き光に払い清められると言う意味です。

色々な解釈がありますが、例えば2021年の話題としては、「オリンピアン」と「ボランティア」の関係は正に「明月」と「清風」の関係、「本體」と「作用」の関係では無いでしょうか。オリンピアンはボランティアの影の努力で光輝き、またボランティアもオリンピアンによりその存在に光が当たり輝きました。生きる上では、誰しも自らが「本體(本当の姿)」ですが、それは周囲のあらゆる「作用」により輝きを増し、そして自らの輝きで周囲も輝かせています。

ご先祖様が在って現在の自分が在り、そしてまたご先祖様に華を手向けて手を合わせる姿がご先祖様を輝かせます。そうした人の世の成り立ちと関係を知ることは、日常の様々な行動の意味を感じる切っ掛けになるかも知れません。

8月の言葉

 

ご先祖様の里帰り

 

光明寺では8月13日から16日の「お盆」の、はじまりの13日に迎え火を、ご先祖様をお迎えする檀家様の標として灯し、ご先祖様のお帰りになる16日には施餓鬼供養を執り行い、ご先祖様の安寧を願います。

作家の武者小路実篤が「生きている者が亡き人を思う心よりも、亡き人が我々生きている者を思う心に、ひとしお切なるものがある」と記す通り、ご先祖様は常に私達の事を、思い、考え、共に在ります。人の情は、生きている時は無論のこと、死により世界を違えても尚、時空を越えて傍らに在ります。常に皆様を見守っています。

感謝しましょう。お盆の一日、佛壇を清め、お迎えしたご先祖様に「お輪(おりん)」を鳴らし手を合わせましょう。きっとご先祖様は、貴方に微笑み返してくれる筈です。

7月の言葉

 

もとの姿は変らざりけり

 
江戸時代の末(西暦1863年)3月9日、ひとりの剣士が、懐に徳川慶喜の意を記す勝海舟の手紙を携え駿府に向います。途中、行く手を阻む官軍陣中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と大声あげて通り抜け、慌てて後を追った村田新八、中村半次郎を振り、見事、西郷隆盛に面会を果たします。その人こそ、光明寺十四世住職『小野玄保和尚』の伯父、「全生庵殿鉄舟高歩大居士」こと『山岡鉄舟』でした。その縁によリ、山岡鉄舟は何度か足利を訪れたと伝わります。

今年の7月は、2年ぶりに富士山の山開きが在ります。そんな富士の姿を詠んだ鉄舟の一首は、とかく表面のさまや、うつりかわりに眼を奪われ、「もとのすがた」が不変であることを見落としがちな、私達の日常を詠んだと言えるでしょう。人の心の奥底には、不変の佛性(純粋な人間性)が備わることを見逃さないようにしなければ成りません。元は幕臣で在りながら明治に入り宮に仕えた鉄舟が、仕える主が変わっても、山岡鉄舟という者の志は変わらない「不二(ふたつに非ず)=富士」の山だと詠んだそうです。

6月の言葉

 

継続は力なり

 

”或る日の夕方、北村西望は「長崎の平和祈念像」の足下に蝸牛(かたつむり)を見つけました。翌朝その蝸牛は、祈念像のてっぺんにまで登っていたそうです。この句は、「平和祈念像」の足下から、その小さな体でその先端までよじ登った蝸牛の姿に、非才でありながらも努力し続け名を成した自らの人生を回顧して詠んだ句と伝わります。

北村西望は遅咲きの芸術家で、その前半生は苦難と挫折の連続でした。『自分は天才ではない。他人が五年でやることを十年かけてやる』。自らに言い聞かせて歩み、やがてその才能が認められ、戦後、四年もの年月を費やし「長崎の平和祈念像」を完成させました。

努力は決して裏切らない。継続は力なり。色々な言葉がありますが「諦めたらそこで試合終了」という言葉が若い人には馴染みが有るかも知れません。

5月の言葉

 

感動は心の薬

 

松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の途中、日光東照宮を詣でた際に詠んだ一句です。”あらたふと”(あらとうと)とは、「尊くありがたい」と云う感動を表現しています。

「新緑の季節」は句に詠まれた通り、命の再生と云う尊い季節ですが、環境にとても敏感な人は、時に進学や就職などで大きく環境が変わることで、気持ちが塞ぎ、ささいな事に「憂い」を感じるかも知れません。

そんな時には、春の暖かな陽射しの下、少し周りの景色に目を向けて下さい。爽やかな陽射しに芽吹いたばかりの若葉が煌めく姿が新たな生命の営みを伝えてくれます。それはやがて大きく葉を広げ、夏の強い陽射しを受け止め、大きな木陰を作り次の世代を育みます。なんと大きく雄大な未来でしょう。それが「あなた自身」の姿です。

新緑の尊い姿に自らを重ね、次の季節に向けて人生を自ら創造する。そうすることで日々の暮らしに喜びが生まれ、あなたを幸せに導きます。

4月の言葉

 

他生の縁

 

”袖振り合うも他生の縁”という言葉を耳にしたことが在るでしょう。通りすがりに袖が触れた一瞬も、前世からの縁なのだという話です。出会う人同士、必ず何かしらの縁(えにし)で繋がっていると云う言葉です。

仏教語にも似た意味の『無縁』という言葉があります。仏教に於ける『無縁』の正しい意味は、『無条件の縁』です。人の繋がりは、理由在る『縁』だけではなく、”偶然”や”突然”の細やかな出会いも、大切な『縁』だと諭しています。

桜の華を愛でようと、満開の桜の木の下に集う人は、日々の生活で見知った人では少ないでしょう。でもその日、その場所を訪れた『縁』は、あなたの中に新しい道を示す切っ掛けとなるかも知れません。

4月の末、光明寺では桜に代わり色とりどりの『ぼたんの華』が咲き競います。是非、花を見て、心を和ませ、見知らぬ人同士、言葉を交わさずとも、同じ花の思い出を共有し、『縁』を紡ぐのも良いかも知れません。

3月の言葉

 

生者必滅 会者定離

 

会者定離(えしゃじょうり)ありとはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり』、親鸞聖人が詠まれたと伝わります。

「会者定離」と云う四文字熟語は、「遺教経」という仏典に由来し、平家物語にも『生者必滅 会者定離』と記され世の儚さを伝えます。それは『命あるものは必ず死に、出会った者は必ず別れる』という人の世の理(ことわり)を述べています。会者定離という理を知る親鸞聖人でさえ、突然に訪れた「別れ」に驚き、戸惑う姿が感じられます。

3月は卒業と云う節目の季節。「会者定離」は卒業式や異動、退職等の挨拶に用いられます。「出会い」があれば「別れ」は必ず訪れる、それは運命だからと慰めながら、だからこそ、新しい出会いに巡り合うとき、決して無為に時間を過ごさぬようにと諭す言葉に用いられます。覆水盆に返らず、無為に過ごした時間は取り戻せません。後悔の無いよう、一期一会を大切にしましょう。

2月の言葉

 

梅花開五福

 

梅の花は、冬の厳しい寒さの中、どの花よりさきがけて咲いてくれます。梅の花弁は5枚あるので、五福を開くということです。

五福とは、1長生き 2財力 3無病 4徳 5天命の5つを指すと言われています。また、花が開く、すなわち悟りを開くという意味もあるそうです。長い長い修行の末、悟りを開くと、万物が光を放ち、仏の世界が出現する。 本当の福はそれなのでしょう。

春はもうすぐです。

令和3年1月の言葉

 

一休宗純

 

頓智で有名な「一休」さんこと「一休宗純」または「一休禅師」とも呼ばれる臨済宗の僧侶が残した一句です。現代的な感覚では正月早々扱う事の難しい一句ですが、この句の本意は『日々を大切に』と言う思いで在ると感じます。

一休宗純の生きた時代(西暦1394年~1481年)は日常の中に「戦」の在る時代でした。関東では西暦1454年~西暦1483年まで28年にも及ぶ『享徳の乱』が引き起こされ、足利もその戦場のひとつとなります。足利学校や善徳寺が現在の場所に移されたのはこの時代と見られています。そして西暦1467~1477年にかけての『応仁の乱』では一休宗純が身を置いた大徳寺の在る都も戦禍により焼き尽くされてしまいました。

そうした時代を生きた一休宗純の詠んだこの句は「正月をめでたいと祝うが、やがて訪れる死への一里塚(マイルストーン)でもある」と言う正月を祝う人への皮肉が込められ、すべては見方や考え方により変わる「常ならざる」事、「諸行無常」を説いた一句とされます。

しかし一休宗純は有名なへそ曲がりでしたから思いを真っすぐ伝えたりは致しません。こんな皮肉な一句も一休宗純が詠み人となるとその意味も裏返り「いつか冥途に旅立つ日が来るのだから毎日を大切にしなさい」となります。一休宗純の句は、その生涯や生き方まで用いて教えとする点で禅僧として悟り得たと言えるのかも知れません。

12月の言葉

 

心の煤(すす)

 

越智越人(おち・えつじん)江戸中期の俳人。

歳の暮れに家の内外の清掃は隈なくしたものの、いちばん肝心な心の煤はらいを怠って正月を迎えた実感を吟じたものです。

薪や炭を用いなくなった現代、台所は煤けなくなりましたが、心に煤がたまることは今も変わりません。むしろ昔より今の方が心の煤は多くなったのではないでしょうか。

11月の言葉

 

寒 山 詩

 

中国唐代、西暦7~8世紀の僧で文殊菩薩の化身ともされる「寒山」が詠んだ漢詩。寒山の活躍した時代は日本の奈良時代末から平安時代の初めにあたります。

吾心似秋月 碧潭清皎潔 無物堪比倫 教我如何説(原文)

吾が心秋月に似たり、碧潭清くして皎潔たり。物の比倫に堪ゆるは無し、我をして如何が説かしめん。(邦訳)

「私の心は秋の名月に似て、青々とした深い水のように透明で汚れがない。これにならぶことのできるものは他に無い。私はこれをどのように説明すればいいのか分からない(現代訳)」全文で「比類なく無色透明な私の心を教える術が無い」と悩みを述べることで、欲や憎悪という心を苛む色に染められていない「無色の心」の大切さを諭しています。時折、自らの心を眺め、心の月に雲が掛かっていないかを確かめる事が大切です。

10月の言葉

 

面壁九年

 

武者小路実篤。小説家・劇作家。40歳の頃から絵筆を握るようになり野菜や花を率直かつ素朴なタッチで写生し、脇に簡潔にして意味深なさまざまなことばを書きつけている。今月の一文もまたそのひとつ。

背景にある陰影は白隠禅師が描いた「菩提達磨」の御姿です。達磨大師は禅宗の開祖として「祖師」と呼ばれており、光明寺が属する「臨済宗」もまた「禅宗」の一派です。達磨大師はインドから中国に渡り、少林寺に籠り、九年もの間只壁に向かって坐禅を組み遂に悟りを得たと伝わります。この故事を「面壁九年」と呼び、長い座禅の間に手足が萎え朽ちたと云う達磨の姿を模した物が、「祈願だるま」「必勝だるま」「福だるま」として身近に目にする「だるま」飾りとなっています。達磨大師の御命日は十月五日。達磨忌と呼ばれ大切な忌日となっています。

武者小路実篤の思いは、「桃栗三年柿八年」と果樹が実をつけるにも時間が掛かり、達磨大師は九年も壁に向かい坐禅を組んで悟りを開いた。自分は一生をかけて実を実らせるのだ。と云う。実篤の真意がいずれに在るかは読む人次第ですが、「思想の借り着は害がある」と述べたと在るように、実篤は他者を尊敬し影響を受ける事は是としながらも、他者を模倣し比べることは身を亡ぼすと考え、自分は他人と同じで無くても良いと強く思っていたようです。

9月の言葉

 

種田山頭火

 

五七五の型に縛られず作る『自由律俳句』の代表的俳人。

単に山頭火とだけ呼ばれることが多い種田山頭火は、明治15年山口県防府市に生まれ、15歳の頃から俳句を始め、昭和15年に生涯を閉じるまで八万もの俳句を詠んだと伝わります。しかしその大半は知られていません。生家は村の大地主で裕福に育ちましたが、晩年「無駄に無駄を重ねたような一生だった」と述懐する通り、その生涯は不幸や不運、そして数々の失敗から自棄になり多くの失意を味わった人生でした。晩年、日本各地を放浪しその中で自らの感情を俳句として昇華させ、多くの作品を世に残してゆきます。

山頭火が「彼岸花」を題材として詠んだ俳句は他にも幾つか伝えられており、その中に「彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり」と云う句があります。山頭火にとって彼岸花(曼殊沙華)は、「仏心」を象徴する華だったのでしょう。他に「悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる」と云う彼の人生観を垣間見る事の出来る一句も残されます。

8月の言葉

 

いのちのバトン…

 

「ふた親」が居たからこそ自らの人生が始まった。そう考える機会は日常余り無いかも知れません。しかし今ここにある数多の命は全て遥か昔から綿々と繋がり紡がれた命です。それを私達に諭す言葉を『相田みつを』先生も残しています。ここに「いのちのバトン」と云う詩をご紹介しましょう。

父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと十代前で 千二十四人
二十代前では・・・?なんと百万人を超すんです
過去無量のいのちのバトンを受け継いでいま、ここに自分の番をいきている
それがあなたのいのちです
それがわたしのいのちです

相田みつを

こうした遥か昔の多くの人の魂が現在の自分に繋がる。それを感じられる数少ない機会が「お盆」かも知れません。昔から毎年8月13日から16日までのお盆の時期には、ご先祖様の霊が「この世」に戻られると信じられており、ご先祖様の道行きを案内する為に迎え火を灯し家族でお墓参りをします。「お墓参り」は決してご先祖様の魂の安寧を願うだけではなく、生き続ける親族に魂の繋がりを感じさせる為にもある事です。

7月の言葉

 

人生は旅なり

 

物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえです。

執着は手枷足枷となって心を苛む苦しみの根源です。しかしそれが分かっていても執着を捨て去る事など常人には困難な行いと言えるのでしょう。新型コロナ感染症の蔓延防止の為に自粛の機会を得た私達でしたが、様々な人の動きを見るにつけ執着を捨て去る事の困難さを思い知らされたことは皮肉な事と言えるでしょう。

今回の「自粛」を例えれば、人生という旅の途中、雨に降られ雨宿りするような物。無理して旅路を急げば却って災いに逢い難渋する事にもなりかねません。勿論、雨が上がったからと急ぐことも用心が必要です。でも、わかっていても出掛けたくなるのは人情というものでしょうか。

もしかすると新型コロナよりも「人生という旅を急ぐ執着」の方が根の深い病魔なのかも知れません。

6月の言葉

 

雨の日には…

 

「晴耕雨読」の語源は明治時代に塩谷節山が書いた漢文詩に在ると言われそれ程古い言葉では無いようです。この言葉は引用者の思いを伝える「例え」として用られる為、仮に怠惰な人が誤用すれば「怠惰な日常を肯定する例え」と成ってしまいます。この言葉は勤勉な人が「在りのままに”生きる”姿」を伝える例えです。怠惰な日常を肯定する例として用いては言霊の思いに反するでしょう。

この「晴耕雨読」という言葉を辞書で引くと「世俗(社会)から離れた悠然とした生活」と説明されます。しかしその文字を読み解くと「”晴”の日には田を耕し(生活の糧を得て)、”雨”の日には読書する(人生の糧を得る)」という「勤勉」の例えであり、これを「世俗を離れた生活」の例えとすると多少の誤解は免れません。字面(じずら)通りに解釈すれば”晴”とは常なる時を意味し、”雨”とは常ならざる時を指します。常ならざる時も無為に過ごさずに”出来る事をする”と云う例えです。まさに緊急事態宣言下の自粛期間は”雨”と呼べる時期でしょう。

その自粛期間もそろそろ終わりに近づき、常なる日が再び始まろうとしています。しかしまた訪れるかも知れない”雨の日”に”何をするか”で人生の豊かさに違いが生れるかも知れません。”雨の日”には”雨の日”の過ごし方を見つける事が必要な時代かも知れません。

5月の言葉

 

善き友

 

お釈迦様は、お弟子の阿難尊者に「善き友、善き仲間を持つことは聖なる修行のすべてである」と諭されました。何事も一人では成し遂げがたい。善き仲間に恵まれることは幸いである。との教えです。

例年当山では連休のこの時期、お釈迦様の誕生をお祝いする「花まつり」として「ぼたん祭り」を開催しておりました。しかしながら本年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点からお祭りを中止させて頂きました。
それでも例年に無く静かな光明寺境内では、何も知らない牡丹が今年も大輪の花をつけています。ただ、風に靡くその姿は心なしか寂しく感じます。

4月の言葉

 

結果自然成

 

「一華開五葉」という言葉は「結果自然成」という言葉と対句となっており、禅宗の初祖菩提達磨大師が慧可に伝えた伝法偈の中の一句と伝わります。古来開運吉祥の語として用いられました。

『(花を咲かせる)努力を惜しまなければ、結果(実)は自然と成るものだ』との教えで、「人事を尽くして天命を待つ」と同様の言葉です。

疫病が流行る時には、手洗い、うがいを心掛け、人混みを避け静かに時を過ごす事が『人事を尽くす』ことであり、即ち「一華開五葉」と云う事です。その結果は自然と現れるであろうという教えです。

3月の言葉

 

「いのち」の再生

 

この句は春の息吹を如実に示した、「いのち」の再生に対する讃歌としてとらえられているようです。木々の芽吹きを見るとき、本格的な春の到来を感じます。固い冬芽がだんだんとふくらみ、潤いを帯びた春の空気に芽を出す。これこそが春の到来でしょう。冬枯れの野も、緑の若草に覆われ、いのちの息吹を感じさせてくれる春。そんな季節を私たちは待つのです。春は万物のいのちの再生と活動の再開を端的に教えてくれる季節です。

しかし、禅語では「生ずる」ものを何と捉えるかによりこの句に別の解釈を与えます。それは「修行によって心をすっかり浄化させ、焼き尽くしたと思い、煩悩がなくなったように見えても、その根源には焼き尽くすことのできない煩悩がしっかりと残っている。ゆえに、不断の努力なしには煩悩の滅除は困難である」との解釈です。ここには、因果律を見据えた仏教ならではの発想があるようです。

参照:妙心寺

2月の言葉

 

涅槃会

 

『己こそ己の寄るべ、己を置きて誰に寄るべぞ。よく整えし己こそまこと得難き寄るべなり。自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが清し。清きも清からざるも自らのことなり。他のものに寄りて清むることを得ず。』

法句経に記されたお釈迦様の言葉で、お釈迦様が入滅されるとき弟子に言い残した言葉と伝わります。

陰暦の2月15日はお釈迦様が入滅された日とされており、仏教においてはお釈迦様の誕生を祝す「降誕会」、悟りを開かれたと伝わる「成道会」と共に大切な日として伝えられます。禅語にある「自灯明、法灯明」の語源となったと言われる言葉です。

令和2年1月の言葉

 

慶賀光春

 

今年が皆様にとって良い年でありますよう願いを込め、その始まりの月を大切に思いつつ相田みつをの言葉を記してみました。

相田みつを氏の言葉は「謎掛けの言葉」が多いように思います。読む人の感性に訴えることで十人十色に異なる意味を感じられます。それだけにその言葉の意味を問うのは野暮というものですが、それでもなおその意味を語りたいと思うのは人間だからでしょうか。

この言葉は『原点であり自分でもある「一」とは何か』を問う言葉です。シンプルに「自分を見つめ直せ」とも聞こえますし、「原点」と云う過去と、現在で在る「自分」とを繋ぐ「一」を問い掛けるようにも聞こえます。氏の言葉には、読む人が自分の身の上を投射して心に響かせる「隙間」があり、その隙間によって私達に「何か」を気づかせてくれます。新年にあたり今日の自分の原点を見つめる機会になればと思います。

相田みつを氏が果たしてどのような思いで言葉を残したかは分かりません。読む人が感じた事こそが答えだと私は思います。

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